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瀕死の妻に西洋医学の限界を知る

障害のある息子、病弱な私の母の介護で手一杯なはずなのに、働き者の妻は、下宿をやったり、内職の洋裁をやったりと、働き尽くめの毎日を過ごしていた。私自身も電電公社の仕事のかたわら、深夜にも及ぶアルバイトもしていたので、妻の身体が次第に蝕まれていたなどとは、気づきようにもなかった。

思えば高度成長のあの時代、みんなが生きることに必死だったのだ。

 

そんな張り詰めていた糸が切れてしまったのは、今思えば私の母の死がきっかけだと思う。

今だからよくわかるが、ストレスというのはかかり続けている時よりも、途切れた時に心身を損ねる。

姑を送ったその安心からふと気を抜いたとき、妻の体調不調が始まった。

 

始まりは子宮からの異常出血だった。婦人科部長の診断は、「このまま放置するとガンになる恐れがあるから子宮を取った方がいいでしょう……」 というものだった。

埼玉県で起きた富士見産婦人科病院の例もあるが、素人が専門家に、「ガンになるから取りなさい」といわれたら、従わざるをえないのではないだろうか。それほどに 「ガン」 という言葉のもつインパクトは大きかった。

 

妻は子宮摘出の手術を受け、術後三十五日ほど入院して帰宅した。ところが、帰ってきてからどうも様子がおかしい。

私がいろいろ話を聞くと、小水が漏れるのだという。しかもその小水が、尿道から漏れるのではなく、膣から漏れるというのだ。

 

これでは話にならないというので、ただちに再入院させた。ところが婦人科では再手術ができないと言うばかりで、何の処置もされない。

 今でこそ医療ミスという言葉があるが、昭和四十年代は医師が隠そうと思えば、患者は泣き寝入りするしかなかったのた。

 世間的には名医で通っていた医師が「手術は無理」と言われ、諦めかけた私に妻は

 「私は死にたくない。あの子を残して死ぬわけにいかない」

と言い張った。

もう時効だから話すが、私はその夜、懐剣を胸ポケットに入れて、担当医師に迫ったのだ。「だめだ」と言われたら刺し違える覚悟だった。

 

この直談判の末、妻の担当は、婦人科から泌尿器科に変わり、再手術が行なわれた。

手術は、朝の八時に予備麻酔がかけられ、手術室から出てきたのが夕方の五時という長時間に及ぶものだった。

しかし、幸いなことに一命だけは取りとめ、退院することができた。

だがその後、妻の体調はいっこうによくならない。血圧が不安定で、頭重・いらいら・疲労感・不眠などを訴える。

妻はそのうち起き上がれなくなってしまった。

 

そこで、三度目の入院をして調べてもらったところ、右の腎臓がまったく動いていないことがわかった。これは明らかに二度の手術の失敗によるものだった。そのために左の腎臓に負担がかかるので、右の腎臓をとらなければ駄目だということになった。

再び諦めかけた私に、妻は、「私は決して諦めない」といって、三度目の手術台に上がっていった。

手術の翌日の夕方、私は、妻の様子をみに病院に寄ってみた。妻の顔色がどうも黄色くみえる。私がみた眼にも明らかに黄症の症状を示していた。

私はすぐ担当の医師のところに相談にいった。その結果、内臓に異常があるからもう一度切らせてくれということだった。そして、なんと都合四回目の開腹手術が行なわれたのである……

 

こんなに短期間に連続して手術をすれば、元がどんな丈夫な人でも身体に変調をきたす。

妻はその後、退院してからも、常に便秘、下半身の冷え、不眠、食欲不振、血圧不安定を訴えるようになった。

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